型破りと形無し

実験は伝統芸か
高校の実験は,失われゆく伝統芸と同じ状態になりつつある。学期に1回か1年間に1回しか生徒実験をしない教員が,大半を占めている(理科教育実態調査より)。これでは,授業ではなく,行事やイベントである。都立T高校のK先生によると,実験は伝統芸だから,型があり,流派もあるらしい。
古典芸能や武道の世界には,「守破離(しゅ・は・り)」ということばがある。芸事や武術における師弟関係のあり方やそれらの修業における過程を示したものといわれている。
・まず,師匠から教わった型を徹底的に「守る」ことから始まる。
・修行でその型を身につけた者は,研究を重ね既存の型を「破る」ことができる。
・鍛錬を重ねた者は,既存の常識に囚われることなく,型から「離れ」て自在となる。
そして,新たな流派が生まれる。
基本は大切である。その基本を会得しないで,いきなり個性や独創性を求めるのはいかがなものだろうか。無着成恭は「型がある人間が型を破ると『型破り』,型がない人間が型を破ったら『形無し』」と語っている。
この何年かは,新たな開発教材と称し,どこが新しいのかわからない実験教材が発表されている。従来よりも手間がかかり,効果も薄く,再現性もない。従来からやられている実験を知らないで,実験の開発をしているのだろうか。それとも別の理由だろうか。
いずれにしても,型はどのようにすれば伝わるのだろうか。

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